- トップ >
- 「と、わ(To WA)」プロジェクトについて >
- リユースびんへの想い
「自分は何のためにこの世に生まれ、そして何ができるのか?」
『と、わ(To WA)』の開発者の一人である
NPO団体「World Seed」中島 光は大学時代に自らの将来を考えていました。
これから人生を歩んでいく上で、自分ができる道を探し、
「その道」と決めて歩んで行きたい。ちょうどその頃は、人類活動の影響により、
この地球が危ないことをメディアで多く取り上げられ始めていました。
「私たちの家でもあるこの地球に対して、私ができることはないのか?」
そんな時、中学時代の恩師から『びんリユース』について話を聞き、
「自分のために、自分の大切な人たちのためにできることがある」と
教えられた事を思い出し、『びんリユース』に興味を持ちました。
その後、『びんリユース』によって私たちの家である地球を
少しでも良くしようと活動している市民団体の方、省庁の方、企業の方。
本当に多くの関係者の方に出会い教えて頂くことができました。
関係者(関係省庁含む)中では、
「びんリユースを推進していく上では、次世代の意見が必要である」との
認識が持たれていた為、当時学生だった自分でも参加することができ、
深く知る度にメモをひたすら取りました。
最初はいいアイデアが思いつかず、それでも諦めず自分の世代だからこそ
同じ世代に伝えやすい方法が何かあるのではないかと感じ、
企画書とは到底言えないような紙資料を徹夜で作っていました。
それを関係者の方々にプレゼンし、「こんなんじゃだめだ!」付き返される。
そんな繰り返しの中で、自らが歩んで行きたい道(自分ができること)が
おぼろげながら見えていき、少しずつですが確実に「返す」と行為だけで、
びんが回り、地域が回る「輪」に参加することができる『びんリユース』に
関わっていきたいと思うようになっていったのです。
そして、自分と同じように人生の目的を悩む人や
社会貢献と一口に言ってもどうしたらいいか
わからない人たちが多い中で、
「返す」という行為だけで社会貢献できる場が身近にあると
理解してもらえたら参加してもらえると思い、
同世代へ向けたリユースびんプロジェクトをNPOで立ち上げたのです。
社会人で仕事をしつつ行うこともできましたが、NPOという社会的課題に
直接アプローチする立場として自分がこだわったポイントは、
「これは自信をもって社会に貢献できるものだ!」と
私が信じるものをまず自らの手で創りたい、
仕事として胸を張って「どうですか!」と言えるように
不退転の決意で突き進みたかったからです。
この中島 光の想いに多くの仲間が共感し、
「より多くの方々に『びんリユース』を知っていただきたい」、
「より多くの方々に『びんリユース』に繋がっていただきたい』
そうすれば、私たちと、その将来の世代へ
「バトン」を渡すお手伝いができるのではないか。
その想いが繋がり、『と、わ(To WA)』を生み出す
きっかけになったのです。